2023年8月16日(水)
キャンプ旅行10日目。
前日から雨模様だった天気は、朝になっても回復せず、キャンプ場には所々に霞がかかったような状態。
この日は、久留米周辺から吉野ヶ里遺跡を散策します。
五ケ山ベースキャンプを出て、東脊振インターから久留米方面を目指したのはよかったのですが、鳥栖JCTで間違って福岡方面へ向かってしまいました。
いやー、Googleナビを使ってはいましたが、高速道路の看板に熊本と書いていたので、「そっちいったら、昨日来た道へ戻ってまうやん」と思って、福岡方面に入ってしまいました。佐賀県から久留米方面へ向かうには、少し南に行くので熊本方面に入らないといけなかったのですが、土地勘の無い私は、久留米は佐賀と福岡の間と思い込んでいたため、道を間違ってしまったのです(>_<)
そこで、折角の高速道路を引き返すのも勿体ないと思い、大宰府天満宮に行くことにしました。元々は、翌日行く予定でしたが、急遽目的地を変更。
大宰府天満宮は、言わずと知れた学業の神様として藤原道長が祭られています。娘は今年の春に、すったもんだの末に第一希望の高校に合格したのですが、とにかく大変でした(苦笑)。そんな娘のためにと、妻の友人から大宰府の合格祈願のお札を頂いていたので、折角九州に来るのですから、自らの手で返納しようと持って来ていました。
お札を返納して満足した娘が一言。
「また、2年後に来ます。」
どこまでも、神頼みの娘。
神様に見放されたらどうするつもりなんや!!
さて、太宰府天満宮ですが、肝心の本殿が124年ぶりの大改修中で見学できず。
宇佐神宮といい、大宰府といい、工事に阻まれた旅行になってしまいました(苦笑)。
大宰府の参道で、梅が枝餅を食べた後、まだ時間があったので、久留米方面へ地道を走って大刀洗へ。
今回、時間的余裕があれば行ってみたいと思っていたのが、大刀洗平和記念館です。
お目当ては、日本海軍の局地戦闘機「震電」の実物大模型。
機体の全容がよく分かる小型模型も展示されている。 |
震電は、世界でも珍しいプロペラが後ろにある推進式の戦闘機です。当時のレシプロ戦闘機は、機首にプロペラがある牽引式でしたが、エンジンを後ろに持ってくることで、より空気抵抗の少ない形状にすることが可能となります。
それによって、より高速飛行を実現し、対B-29の切り札ろして開発が進められていました。
実際には、試作機が1機作られただけですが、終戦直前の1945年8月3日には試験飛行も行っており、日本の航空技術の高さが伺われます。
この機体が完成していたら、太平洋戦争はどうなっていたか・・・
広島と長崎の原爆は阻止できたのか・・・
歴史にifは禁物ですが、震電を観ていると、そんな気分になります。
それにしても、カッコいい~
1時間ほど震電を見学した後は、吉野ヶ里遺跡へ。
途中でお昼になったので、筑豊ラーメン山小屋でラーメンと餃子を食べました。
豚骨の効いたスープが濃厚で、九州らしいラーメンでした。
さて、朝は曇っていた天気も、昼前には晴れ上がり、吉野ヶ里遺跡に到着した14時頃には日差しが照り付けていました。
吉野ヶ里遺跡は、南北全長約2kmに渡る広大な公園になっており、その中に、遺跡の他、当時を再現した建物などが点在しています。
事前にあまり調べていなかったのが悪いのですが、最初は北口に行ってしまい、どこから入場すれば良いか分からない状態に。
案内看板を見て、北口から入ってしまうと、遺跡の中心からは離れ過ぎてしまうので、メインの入場口がある東口駐車場へ移動。
改めて、歴史公園センターから中に入ると、環濠集落が再現されています。
集落手前の藪には、猪が。
当時の弥生人も、きっとこんな猪を獲って食べていた事でしょう。
集落内には、住居や、物見櫓など、様々な建物が。
高床式の穀物倉庫も再現されています。
高床式に特徴的なねずみ返し。
後日、小遣いをせがむ娘に「親のすねかじりよって!!」と言うと、「吉野ヶ里ぐらいの、でっかいねずみ返し足に付ければええやん!!」と言い返す始末。
トホホ・・・
村の祭事の中心と考えられている北内郭には、3層2階建ての巨大な主祭殿があります。
主祭殿2階は、政治的な祀りごとを行っていたフロア。中央に吉野ヶ里の王が座っています。
主祭殿3階は、祖先の霊の言葉を聞くフロア。中央にいる巫女が祈りを捧げています。
天井もなかなかの造りです。
正直、当時の技術でここまでの建物が建設できたのか疑問に思いましたが、中国からの技術伝来があればこれぐらいは出来たのかも知れません。
北内郭の成立時期は、紀元1~3世紀とされていますので、当時の中国は後漢の時代ですから、そういった可能性はあるでしょう。
こちらは、村の住人が葬られたと思われる甕棺墓列。
まあ、要するに一般ピープルの墓場です(笑)
そして、メインは、北墳丘墓。
発掘された墳丘墓の上に数十センチの盛り土をしつつ、発掘された当時のままを再現しています。
驚いたのが、発掘された副葬品などもそのまま、甕棺の中に展示されていることです。
銅剣とガラスの管玉 |
歴史に触れることの重要性を今更説くまでもありませんが、現地で当時を想像しながら考えることは、とても重要なことです。このような形で、日本史に置いて重要な史跡を保存・公開している意義は大きいでしょう。
さて、この日は、外気温が35℃を超える暑さで、広大な敷地内を歩き回ったので、私もヘトヘトに。更に、妻と娘が、園内で迷ってしまい、北墳丘墓が分からなくなってしまいました。
北墳丘墓は、発掘現場を再現した上に、コンクリートで覆って人口の丘にしてあるため、遠目には展示施設には見えないのですが、看板をちゃんと見ていない妻が悪いのです(^_^;
這う這うの体で展示場に辿り着いた妻と娘。幸い、館内は冷房が入っていたので、しばらく休んでから見学。
帰りは、3人とも疲れてしまい、入口まで戻るのが億劫になってしまいましたが、幸い園内には巡回バスが走っており、無事に戻ることができました。
さて、疲れを癒すならやっぱり温泉でしょう!
吉野ヶ里遺跡からキャンプ場までの間には、「ひがしせふり温泉山茶花(さざんか)の湯」があります。
露天風呂や大浴場には、バラエティーに富んだ湯舟があり、私も吉野ヶ里遺跡の疲れを十分に癒すことができました。
お風呂で復活したら、あとはキャンプ場で晩御飯です。
この日は、キャンプの最終日。天気も回復したので、キャンプ定番のBBQに。
肉や野菜は、昨日もお世話になったスーパー「アスタラビスタ」で購入。更に、「山茶花の湯」で売っていた地元の猪肉も一緒に頂きました。牛肉も熊本産ですから、九州を食べ尽くしです(笑)。
BBQの〆は、娘がリクエストした焼きそば。
リクエストした本人が調理。
お腹がいっぱいになった後は、BBQの後に薪をくべて焚火を楽しみました。
実は、今回のキャンプ旅行で焚火をしたのは、この日が最初で最後でした。
焚火をしなかったのは、暑かったこともありますが、これまで調理には全部ガスを使っていたので、焚火のためだけに焚火台を出すのが面倒だったのです。
その点、この日は、BBQでしたから、その流れで焚火をしました。
近年のキャンプブームのおかげで、焚火をせずばキャンプに非ずといった風潮がありますが、無理に焚火をしなくてもと個人的には思います。それに、今回はキャンプと旅行を両立させる必要がありましたので、キャンプは簡便に楽しもうということで、最終日まで焚火なしとなりました。
尤も、天候に恵まれず、焚火どころでは無かったというのもありますけれど(苦笑)。
つづく